沿革
昭和37年、初代院長 宮地知男は、当時病床過疎の状況にあった神戸市東灘区の地域医療の一翼を担うことを目標にして宮地病院を設立しました。増床・改築を重ね平成元年には200床の一般病院となりました。
平成7年阪神・淡路大震災で宮地病院は全壊しやむなく休院しました。平成9年に新病院を再建し、高齢者の入院医療、医療・福祉連携および在宅支援を重要な目的としました。
患者様の病気を治すだけではなく、その後の生活も支えケアしていこうと考え在宅部門のサービスを充実させ、福祉施設の整備を展開していきました。さらに地域リハビリテーションを推進し、リハビリで地域を支えるため本山リハビリテーション病院を開設しました。
西暦 | 概要 |
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1954年1月 | 故宮地知男が神戸市東灘区本山中町4-1-8に甲南診療所を開設 |
1959年 | 19床の有床診療所に変更 |
1962年5月 | 宮地病院を開設(64床) |
1967年 | 看護宿舎 梓寮 を病院の西隣に設立 |
1970年 | 新館(西側)を増設し156床に増床 |
1979年 | 医療法人明倫会を設立 |
1989年 | 新館(東側)を増設、全館改築し200床に増床 |
1992年12月 | 訪問看護センターを開設 |
1995年1月 | 阪神・淡路大震災により病院、看護婦寮全壊 |
1995年3月 | 旧病院の北側駐車場に宮地クリニックを開設 |
1996年3月 | デイケア・センターを開設 |
1997年4月 | 新・宮地病院を設立・開院(158床) |
1998年 | 医療福祉建築賞受賞 |
1998年4月 | 介護老人保健施設 あずさ(52床)を開設 |
1999年4月 | 在宅介護支援センター フェニックスを開設 |
2000年4月 | 居宅介護支援事業所 ヘルパーステーションもとやまを開設 |
2001年8月 | 社会福祉法人明倫福祉会 介護老人福祉施設 ぽー愛を開設 |
2002年9月 | 日本医療機能評価機構(複合病院A)認定取得 |
2002年9月 | 初代理事長・院長 宮地知男死去。宮地民子が理事長に就任 |
宮地千尋が院長に就任 | |
2004年4月 | 医療療養型病棟57床を回復期リハビリテーション病棟に変更、受理 |
介護型療養病棟12床を廃止、医療療養型に変更。亜急性病床8床届出 | |
2005年8月 | 総合リハビリテーション施設B認定 取得 |
2005年10月 | 特殊疾患療養管理加算を算定 |
2006年4月 | フェニックスあんしんすこやかセンター開設。言語聴覚法(Ⅰ)届出、受理 |
2006年9月 | オーダリング導入 |
2007年3月 | 高齢者総合福祉施設 愛しや 開設 |
2007年4月 | 電子カルテ導入 |
2007年10月 | 神戸男女いきいき事業所 表彰 |
2008年3月 | 病院機能評価更新 認定 |
2008年3月 | 働きやすい病院評価 認定 |
2009年4月 | PACS導入。 |
2010年9月 | 日本医療機能評価機構 リハビリテーション付加機能 取得 |
2010年11月 | ひょうご仕事と生活のバランス 企業 表彰 |
2011年1月 | 日本慢性期医療協会認定取得 |
2011年3月 | 生きがい対応型デイサービス 開始 |
2011年5月 | 愛マッサージ 設立 |
2013年7月 | 本山リハビリテーション病院(120床)開院 |
2014年4月 | 宮地病院 改築 88床に変更 |
短時間通所リハ「リハスタジオM」開設 | |
2015年4月 | 医療法人明倫会 キッズクラブ本山南 開設 |
2016年7月 | 宮地病院に メディカルフィットネスRe-born 開設 |
2017年4月 | 医療法人明倫会 地域連携室 発足 |
2017年4月 | 医療法人明倫会 キッズルームころねん(認可保育園)開設 |
2018年7月 | 重度認知症デイケアつくし 開設 |
2018年10月 | 認知症疾患医療センター 開設 |
2019年2月 | 青木にサービス付高齢者向け住宅 潮騒の家(50戸)設立 |